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​© photo by Chokko Yamadaya

電雲日報其九十六

August 10, 2018

 

ひとつの役目を終えても、時代のニーズから違う価値が生まれる。

 

平成30年8月11日  土曜日

5:00      日報作成

5:30      メール送信等

6:00      荷物整理

その後は未定

 

旭川市内から周辺探索か、一気に北上するのか? 空模様によっても左右されそう。自転車で走りたい! 東川で写真展や撮影するのもいいが、旭岳へアタックするときでも良いかも? 

 

 

金曜日の報告

清水沢アートプロジェクトさんのおかげで、想い出深い一日となった。当初の予定とは打って変わり、朝から夕方まで清水沢発電所で撮影した。清水沢小学校や中学校の資料から同級生の写真を発見。何人かの名前をご存知でもあった。発電所の歴史は北炭だけでなく夕張の歩んだ道でもあり、国策として行われた背景から、日本の歩んだ道でもある。栄枯盛衰と捉えていたけれど、廃墟と化した発電所が現代のリサイクル技術から宝の山であること。アートプロジェクトの活動に共鳴し理解して、見学を認めてくださってる企業とその活動を行なってるアートプロジェクトの方。住まいを炭坑や市の意向で転々とすることを受け入れる夕張市民。水力と火力の両方の発電所だったこと。俺が住んでる頃はまだ現役で、92年まで稼働していた、大正、昭和、平成と約100年近い。過疎地はある意味では最先端。様々な問題に最前線で向き合っている。清水沢が炭坑で栄えたのは戦後のことだった。清水沢小学校の生徒数から繁栄時期など推し量れる。発電した電力は北炭の炭坑や住宅で使われた。だから夕張では南部は違う。わざわざ山ん中に鉄塔通して歌志内など空知の北炭の炭坑町まで通していた。もちろん電気代はただだった。

 

夕張の石炭は高カロリーで通常の発電所では使えなかった。室蘭の製鉄所で使われていたなんて知らなかった。久しぶりに旧炭住に入って、あのカビ臭い匂いが妙に懐かしかった。間取りも住んでたところと一緒。 

 

発電所は時代ごとに建て増しをしていったようだった。薄暗いおどろおどろしい外観は、戦時中、空襲から逃れるためのよう。レンガとコンクリート壁。レンガは運ぶ手間を惜しんで夕張で製造。発電すると灰が残るが、それを固めてブロックを製造。そのブロックで炭住も建築していた。地勢的な理由からか、地産地消的な発想があったのかもしれない。

 

そんな歴史を内包する現在の清水沢発電所は雨漏りもひどく、崩れてしまってる箇所も沢山ある。解体は企業の理解から一時ストップしてるが、近いうちに姿を消すことは間違いないだろう。有限なことなども加味してか、崩れ落ちようとしている姿が美しい。連綿と続いた重みが滲み出ている。今回のテーマである産業遺産って、表層的なものではなく、もっと深い場所に真意があるように感じた。北海道の過去だけでなく、今にも伝え続けていることなんだという。欧米の酪農技術が伝わったように、工業化のために最先端な技術も導入された過去。いまは解体する過程で、過去のものに価値が生まれている。大量生産するだけじゃない新たな価値を見出している。人の数は少なくなってしまったが、身の丈にあったものも新たに生まれているのだと思う。

 

実り多き一日だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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