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​© photo by Chokko Yamadaya

電雲日報其百二十八

September 12, 2018

 失って気がつくコトはあるが、カタチのないデータは元には戻らない。モノとしての写真の価値をどう伝えたらと一週間後に考える。

 

 

平成30年9月13日 木曜日

7:00     メールチェック等

8:00     日報作成

9:00     テストプリント 数度目のトライ

13:00   出発

15:00   撮影

19:00   夜の打ち合わせ 久々先輩フォトグラに会える、楽しみだ。

スキャンはできた! 俺の凡ミス! 今度はプリントだ! 絶対に何か原因があるハズだ!

 

水曜日の報告

スキャンは無事完了。一歩引いて客観的に検証すれば解決するのに、近視眼的になりすぎる、反省。撮影は無事終えたけど、写真を撮ってるのか、データを記録しているのか考えてしまう。データの優位性も十分わかるし利用しているがやっぱりモノではない。失ったら二度と戻らない。スマホやPCに新しいデータはどんどん更新されて見返すコトも少なく、保存しているのに満足しているような気がする。じゃあ一プリントするかと言ったら、大量に撮影した中から選ぶのも大変。データ保存はしてるけど新しいデータが増えていって次第に記憶から消滅してしまう。そして、何らかのトラブルでデータ自体が消えて無くなる。プリントしてアルバムにまとめて、節目節目に見返すっていうオーソドックスなコトが案外大切。でも、どんどんデータを更新していくのに、そんな時間がないって感じるのも事実。AIに選んでもらう手もあるらしいが、どうも腑に落ちない。頑な写真原理主義者になってしまっているのだろうか? モノとしての写真をどう接したらいいのかを昨晩はずっと考えていた。撮るだけじゃなく、どう写真と接するのかを提案したい。だいぶ前から思っていたけど、それを現実にしていきたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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